授業開始前。
公二と光は緊張の面持ちで教室に入ってきた。
恵も一緒だ。
約束ではもう連れてこなくてもいいのだが、今日はあえて連れてきた。
なぜ公二達がそうしたのか?それは自分たちでもよくわからないらしい。
事前に教室で待っていた匠達に囲まれる。
「おい公二、大丈夫か」
「ああ……大丈夫だ」
「光、大丈夫よ、心配しないで……」
「琴子、おおきに……」
机に座った二人。
二人の張りつめた表情はまったく崩れない。
「公二、いよいよだな……」
「ああ……いよいよだな……」
「大丈夫だと思うけど……」
「うちらも、もしもの時は……覚悟決めてるから……」
そう言って、公二と光はそれぞれ懐から一枚の白封筒を机に置く。
その白封筒をみて周りが一斉に凍り付く。
「ええっ!」
「おい、公二……」
「うそ……」
「光、それは……」
「た、退学届……」
それは表に大きく「退学届」と書かれた封筒だった。
「前から約束した通りだ、もし負けたらすぐに校長室に行ってこれを提出する……」
「……」
「うちらもこれは使いたくない……でも、負けたらこれを使う覚悟を決めて今日まで頑張ったんや」
「……」
二人の表情は真剣だった。
匠達はこれが冗談でも脅しでもなく、二人が本気であることを強烈に感じ取る。
「匠、約束してくれ、もし負けても俺たちを止めるなよ……」
「……わかった……」
「匠さん!」
公二の頼みを受ける匠。
素直に受けた匠に美帆は驚く。
匠はその声に動じることなく公二に言葉を返す。
「自信があるからこそ言ってるとは思うけど、俺は公二たちの決意を踏みにじることはしない……」
「坂城くん……」
「公二、負けたらあの校長の机に叩き付けてこいよ」
「ありがとうな……」
公二がふと周りを見渡す。
そして何かに気が付いたように楓子に尋ねる。
「あれ?花桜梨さんは?」
「花桜梨さん……教室でずっと祈ってた……」
「そうか……」
今、自分の周りに花桜梨はいない。
しかし、公二と光には懸命に祈っている花桜梨の姿が容易に想像できた。
「話は試験が終わってから、匠さんから聞きました……主人さん、辛い選択をしましたね……」
「いや、花桜梨さんのほうが辛いよ……それに俺たちが無理矢理頼んだのだから……」
「これで勝てなかったら……」
「大丈夫や、絶対に勝ってる。自信ある」
「そう……」
それから、1Aの教室は緊張感が張りつめていた。
その中心の公二と光は退学届を懐にしまって授業を受けていた。
その隣の1Bの教室。
純一郎が休み時間ふと琴子を見てみると琴子が震えていた。
あまりに尋常ではないので、声を掛けてみた。
「水無月さん。大丈夫?」
「大丈夫……だとおもう」
「無理しない方がいいよ」
「……怖いの……」
「えっ?」
「光が持っていた、退学届……あれが懐刀に思えてしょうがないの」
「懐刀?」
「ええ、それも武士が切腹の時に使う懐刀よ……あれを見て一瞬、切腹のシーンが頭をよぎったわ……」
「切腹だって……」
「私、嫌な予感がする……だから怖いの……私が単に時代劇の見過ぎかもしれないけど……」
純一郎も思い起こせば確かにそんな雰囲気はあったように感じていた。
間違いなく二人は覚悟を決めている。
その覚悟が琴子を不安にさせていた。
「大丈夫だって」
「えっ?」
「陽ノ下さんを信じてあげなよ。きっと大丈夫だって」
「そうね、光だもんね。大丈夫よね……」
「そうそう」
「ありがとう……落ち着いたみたい……」
落ち着いたとは言ったもののやっぱり不安な表情の琴子だった。
そして遂に放課後がやってきた。
玄関前の廊下は異様な雰囲気に包まれている。
毎回毎回異様なのだが、今回は特別だ。
その特別が、中央で今か今かと待っている。
「いよいよだな……」
「うん……」
公二と光の周りには琴子達が囲んでいる。
「なんかこっちが緊張しちゃうね」
「そうだね」
「あ〜、テストじゃなければ美幸が不幸の一つぐらい引き受けたっていいのに〜」
「私の妖精さんが力になったかどうか……」
花桜梨もその中にいた。
花桜梨は楓子の側で不安な表情を浮かべていた。
「花桜梨さん、大丈夫だよ」
「……怖い……」
「大丈夫、きっと大丈夫だよ」
「うん……」
「あっ、ほむらが何か持ってやってきた!」
「いよいよか……」
そして、ほむらが脚立と大きな紙束を持ってやってきた。
順位の紙を貼るのはなぜか生徒会の仕事だ。
脚立を立て、いよいよ順位の紙が貼られようとしている。。
ほむらは中央の公二達に話しかける。
「なあ、最初に言っておくが、あたしはここに書かれている内容は知らない」
「……」
「あと、とりあえず最初の上位20人分だけ先に張る、それから下は今から持ってくるところだ」
「……」
「じゃあ、いくぞ……」
遂に順位の紙が貼られ始めた。
全員が固唾を呑んで見守る。
紙が大きいので一気には張れず、上から張られる。
当然順位の上の方から名前が見られる。
紙には順位・名前・クラス・平均偏差値が書かれている。
1位、2位、3位……
どんどんと名前が公表される。
そして……
「よしっ!」
「OK!まずは公二が入ったな」
「とりあえずおめでとう!」
「ありがとう」
公二にとって8位は自己最高順位だった。
「残りは光ちゃんか……」
「……」
「あと12人。入っていて欲しい……」
「……神様、お願い……」
「……」
様々な思いが一枚の紙に注がれる。
それでもほむらは無言で紙を貼る。
9位、10位、11位……
「まだ出ないか……」
「ああ、緊張する……」
13位、14位、15位……
「まだか……」
「そう簡単にはうまくいけないのか……」
「花桜梨さんの名前もまだない……」
「……」
17位、18位、19位……
「ない……」
「うそ……」
「花桜梨さんの名前もない……」
「……」
上位19人の名前が出た。
依然光の名前はない。そして花桜梨の名前も無かった。
順調に来ていた順位の紙貼りが止まった。
なかなか20位が出てこない。
「あれ?」
「どうしたんだ?」
「どうした赤さ……えっ!」
「うそ……」
「まさか、ほむらが……」
ほむらが動かない。
「あたしもこんなになるなんてな……怖くて動かないよ……」
「……」
最悪の結果を想像させているのか、はたまた恐怖心なのか。
ほむらの手が震えていて動かないでいた。
そんなほむらに光からの声がかかる。
「ほむら、遠慮はいらへん。思いっきりいっとくれや」
「陽ノ下……」
「もったいぶらなくてええ、こっちは覚悟決めとるんや、だから心配いらへん」
「……」
「大丈夫、きっとそこにはうちの名前がある」
「そうか、ありがとな……これで楽になったよ」
光は自信あるかのように微笑む。
ほむらもそれの笑顔でようやく落ち着いたようだ。
「じゃあ、一気に行くぞ……えいっ!」
ほむらが思い切って、順位表の最後を貼り付けた。
そこに書かれていたのは……
「光ちゃんじゃない……」
「ダメだったのか……」
「しかも……花桜梨さんが……」
「そんなぁ……」
一瞬に沈黙が走る。
「……」
「しょうがないよ……」
「うん……」
「悔いはないか?」
「うん、悔いはあらへん……」
「じゃあ行こうか……」
「うん……」
公二はがっくりと肩を落とす光を肩に抱きながらと二人で校長室へと向かった。
そしてその反対方向へは顔を手で隠しながら走って行く花桜梨の姿があった。
「……」
「……」
残された匠達は声も出ない。
どんっ!
「ちくしょう!」
突然の音に一同が上を見上げる。
「なんで……なんでこうなるんだよぉ……」
壁を拳で叩き付けながら、人目も気にせず泣いているほむらがそこにはいた。
「あいつらは、本当に頑張ったんだよ……」
「あいつらは何も悪くないよ……」
「入院してからずっと頑張ったのに……どうしてだよ……」
「こんなことが……こんな事があっていいのかよ……」
「神様、仏様は何も見てないのかよ……」
「ちくしょう!ちくしょう!ちくしょう……」
「ううっ……」
最後はもはや言葉にならなかった。
琴子達もただ泣くしかなかった。
そして校長室。
校長の前には公二と光が恵を連れて立っていた。
「用事は何だね?」
「これを……お持ちしました……」
そう言って、公二と光は懐から退学届をだし、校長の前に差し出す。
「約束です……なにも言い訳はしません……」
「いままで……お世話になりました……」
そういうと公二と光は頭を下げ校長室から出ようとしていた。
「待ちたまえ」
「えっ?」
しかし校長の重い声が二人の足を止める。
「こういうのは内容を儂が読んで承認してから出て行くものじゃよ」
「はぁ……」
「では読ませてもらうぞ……」
「……」
校長は中身を取り出しゆっくりと読み始めた。
再び、玄関前廊下。
沈黙を破る声が突然駆け足とともに聞こえてきた。
「会長!」
「……」
「会長!」
「……なんだ……」
ほむらが下を見るとやはり大きな紙束を持ってきた女の子二人。
おなじ1年で風紀委員の橘吹雪と藤沢夏海である。
「1年生の順位の続きよ!早く張って!」
「あたしはそんな気分じゃないんだ……」
吹雪のせかしにもほむらの反応は悪かった。
「どうしてっすか?」
「あのなぁ、あいつらが賭に負けたんだぞ!退学なんだぞ!もう他の順位なんか関係ないんだ!」
「あのぅ……」
「あいつらのことを考えると……なにもできねえよ」
ほむらは大声で怒鳴っていた。
しかし吹雪と夏海の様子がおかしい。
どうやら何か知っているらしい。
「それだったら余計に早く張るのよ!」
「えっ?」
「とにかく、中を見てすぐに張るっす!」
「……」
ほむらは無理矢理渡された紙束を受け取るとちらっと紙の上の文字を見た。
「なんだって……嘘だろ……」
ほむらの手は震え、涙が再びあふれ出していた。