第172話目次第174話
夜。

一文字邸

「………」
「………」

格調高い座敷の居間は重苦しい雰囲気に包まれていた。

薫と茜がテーブルを挟んで向かいに座っている。
薫は黒のパジャマ姿。どっかりを胡座をかき、腕を組んでじっとしている。
一方の茜はそんな兄を正座のままじっと見ている。
格好は学校の制服のまま。着替える気にもなれなかったらしい。

「……本当なの?」
「ああ……俺と八重には何も恨みはない……」
「………」
「信じられないか?」
「ボクは……どうしても信じられないよ……」

薫から真相を聞かされた茜は戸惑っているようにみえる。
頭を何度も振り、天井を見ながら考え込み、目をつむり心を落ち着かせる。
そんな茜に対して薫はまったく微動だにしない。


「俺は八重には恨みも憎しみも何もない……ただ、喧嘩に負けた。それだけだ」

太陽の恵み、光の恵

第28部 "乱れ桜"花桜梨・開花編 その5

Written by B
茜は戸惑いの表情を隠さずに薫に問いかける。

「もう一度聞かせて?本当にそんなきっかけなの?」
「ああ、俺が関東総番長になった次の日に、手下の一部が俺が関東総番長なのをいいことに、好き放題やってたらしいんだな」
「お兄ちゃんは止めなかったの?」
「止めるもなにも、そのころはたくさん手下がいすぎてそいつらの行動は全部把握しきれなかった。
 俺も浮かれてて注意しなかったんだけど……
 まあ、それは八重も同じだったんだろうけどな」
「それで、お兄ちゃんが出てこなくちゃいけないの?」
「どうもその馬鹿な手下どもが、八重のグループの手下にちょっかいだしたみたいなんだよ。
 当然相手は反発した。
 そして話はどっちのボスが強いって話になって……」
「担ぎ出されたと……なんかマンガみたいだよ……」
「ばかばかしくて、俺も八重も呆れてたよ」
「えっ?花桜梨さんも?」
「ああ、最初は『向こうが喧嘩をふっかけた』とか聞いて、
 関東総番長として勇んで出陣したんだ。
 夜中の広い公園だったな……」



「遠くで周りを俺と八重の手下が囲むなか、俺と八重が初めてあった会話が……」

『お前が八重花桜梨か……』
『ええ、そうよ……』
『お前の手下が、うちの手下にひどい目にあわせたって聞いたが……本当か?』
『えっ……私は、あなたの手下にひどい目にあわされたって聞いたけど……』
『ん?喧嘩をふっかけたのはお前達だって聞いたぞ』
『私は喧嘩をふっかけられたって聞いたわ』
『………』
『………』

「お互い苦笑だよ。
 なんせ、雑魚どもの喧嘩に担ぎ出されたのがわかったからな。」
「それで?」
「八重がぼそっとこんなこと言ったんだよ」



『どうして人って、こう虎の威を借りたがるんでしょうね……友達でもないのに……』



「なんか、悲しそうな顔をしてたよ。俺は感じたな。ああ、こいつは悪人じゃないってな」
「そうなんだ……」
「たぶん、八重はあのころから本質は変わってないんじゃないか?俺はそう思う……」

薫は大きな湯飲みに入ったお茶をぐいっと飲みほす。
茜はそんな薫をじっと見つめるだけ。
薫は自分の脇に置いてあるポットからお湯を急須に入れ、お茶を湯飲みに注ぐ。

お湯の音が静かな居間に響き渡る。



そして、ゆっくりとお茶を飲み始める薫。
悠々とした態度の薫に茜がしびれをきらせる。

「じゃあ……なんで、喧嘩なんかしたんだよ!」

怒ったような目で薫を見つめる茜。
薫は湯飲みを置く。

「茜が思うのも当然だ。わざわざ俺達が喧嘩する理由なんてない。
 でも、そういう訳にはいかないんだよ。
 ボスがグループのボスとして対峙した以上、プライドを掛けて闘わなくてはならない。
 部下の手前もあるしな……
 それが番長達の掟だよ……」

「………」

「しかし、さすがに俺も戸惑ったよ。
 ばかばかしくて喧嘩する気も失せかけてたし、何より相手は女だ。
 噂で聞いたことには俺よりも4つも年下。
 でも、八重のほうがクールだったよ」


『あなたには恨みも憎しみもないけど……仕方ないわ……
 そういえば、純粋に闘うのなんて初めてかもしれない……』


「そういって、八重が身構えたよ。そうなったら俺もやるしかないだろ……」
「じゃあ、喧嘩をふっかけたのは花桜梨さん……」
「違う。ふっかけるふっかけられるという話ではない。もうするしかなかったんだ。
 八重も喧嘩したくなかったはずだ。
 でも、掟がそうさせてくれないのはわかってて言ったと思う。
 もし、喧嘩してなければ、俺と八重はずっと腰抜けとかチキンって言われただろう。
 ある意味、八重に感謝しているよ」

また、薫はお茶を飲む。
ずずっという音が居間に響く。



茜は依然として納得がいかない。

「チキンだっていいじゃないか……負けるよりも……」

「確かにな……
 でも、八重の言葉に動かされたんだよ。

 『純粋に闘う』って、やつにな。

 確かに、俺も今まで恨みとか憎しみとか怒りとかで喧嘩しかしてなかった。
 純粋に強い奴を決める喧嘩なんてしたことなかった。
 俺も一度やってみたかったっていう気持ちもあったんだろうな」

「………」

「結局、俺は八重と喧嘩した。

 俺が生きた中で一番楽しい喧嘩だったな。
 こう言うと茜は怒ると思うが、思い起こせばそういうことだ。
 なんか、柔道とか剣道とか、スポーツしている感覚かもしれないな。

 確かに俺は負けた。
 それも惨敗だった。なんせ、俺の攻撃を全部受けきられちまったんだからな。
 それに俺は病院送りだ……

 でもな。
 負けて悔いはなかった。
 負けて納得した喧嘩って、これが最初で最後だ。
 あそこまで負けると逆に清々しかったな。

 だから、あの日から、俺は喧嘩生活からすぱっと足を洗えたのかもしれない」

「………」



依然、納得がいかない様子の茜。
それをみた薫は茜の顔をじっと見つめて、問いかけるように話しだす。

「茜。

 八重のことだが……
 俺のためにとかで行動するな。
 自分のために行動しろ。
 後悔するのは茜だ、俺じゃない。

 茜がどうしようとも俺はなにも言わん。言う資格もない。

 俺が言うのはこれだけだ……」

そういうと薫は湯飲みを持ったまま立ち上がる。
そしてそのまま襖に向かう。

「お兄ちゃん!」
「………」


バタン!


茜が止めるが薫は何も言わずに部屋から出て行った。


「………」


茜はしばらく襖を見つめたまま動かなかったが、一人でいてもどうしようもなく茜も部屋から出る。



がらっ!


茜は部屋からでる。
廊下に出た茜は真正面に人影を見つけた。

「舞佳さん……」

水色の柄なし、男物のパジャマを着た舞佳がそこにいた。
舞佳は壁に寄りかかり、腕を組み、顔はうつむいていた。

「舞佳さん……聞いてたの……」
「ええ、聞いてたわ」
「あっ……」

舞佳は顔をあげ、茜を見つめる。
茜は舞佳の顔をみて驚いた。
舞佳の顔は真剣そのもの。
それは茜が初めて見る舞佳の顔だった。

「話があるわ。茜ちゃんの部屋に行っていい?」
「え、ええ……」

舞佳の気迫に茜はうなずくしかなかった。



茜の部屋。

「………」
「………」

ベッドに腰掛け、うつむいている茜。
茜の前に立ち、両手を腰につけている舞佳。
舞佳が茜を見下ろす格好になっている。

「茜ちゃんの気持ちはとてもわかる。私もそうだったから……」
「えっ?」
「薫が目の前で容赦なくボコボコにされて、黙っていられるわけないでしょ……って、あれ?聞いてないの?」

茜の反応が何もないことに舞佳が戸惑う。
茜もそれをみて舞佳に尋ねる。

「えっ?何のことですか?」
「そうなの?まあ、薫のことだからね……」
「舞佳さん何を……はっ!まさか……」


「私もやったのよ……花桜梨さんと」


「そんな……信じられない……舞佳さんが喧嘩なんて……」

茜の顔が少しだけ血の気が引いているように見える。
冷や汗もだらだら流れている。
茜は舞佳が喧嘩するような人だとは思っていなかったからだ。
事実、目の前の本人から「私は見る専門よん♪」と聞いていたからだ。



舞佳は腕を組み、天井を見上げ、遠くの空を見るような目をしながら話し出した。

「そうよね。私もそう思ってた。
 でも、薫を倒したあと、まったく動けない薫をよそにさっさと立ち去る花桜梨さんを見て、カッとなったのよ。
 『私の薫に何するのよ!』って。

 まあ、意識朦朧としていた薫の意識を何とかして引きつけたいと思って無我夢中だったのもあるんだけど……
 とにかく薫をこんなにした花桜梨さんが許せなかった。

 私が我を忘れたのは一生であの一度だけ。
 私が本気で喧嘩したのも一生であの一度だけ」

「結果は?」

「救急車が来なければ薫と同じ運命だったかもね。
 最初に決まった裏拳一発が精一杯。
 あとはまったく喧嘩にならなかった。

 背骨をまっぷたつに折られる寸前に救急車が来て助かったんだけど、
 その救急車の音を聞きながら気絶しちゃったのよ、私。

 気が付いたら、薫の隣のベッドで寝ていたわ」

「えっ?どういうこと?」

「花桜梨さんが気絶した私を救急車に運んでくれたらしいのよ。
 それを聞いて私もびっくりしたわ。そんなことする人なんて初めてだから。
 私も花桜梨さんが悪人じゃないって感じたわ」

「そうだったんだ……」

舞佳からの話を聞いて、茜は舞佳と花桜梨の知らない一面を知ったような気がした。
驚きよりも感心している表情を見せる。



「茜ちゃん。話はこんなことじゃないの」

舞佳は再び真剣な表情で茜を見つめる。

「私がなぜ花桜梨さんを恨めたかわかる?
 それは薫を倒したということしか、私は花桜梨さんの印象がなかったから。
 それしか花桜梨さんのことを知らないから恨めた。

 でも茜ちゃんは、花桜梨さんのことをよく知ってるわよね?
 花桜梨さんの性格。花桜梨さんの魅力。花桜梨さんの苦手なこと。

 だからわかるよね?
 花桜梨さんが単純に恨むべき人じゃないってこと。

 そんな茜ちゃんが取るべき選択肢は二つ。

 一つは茜ちゃんの今までの気持ちを完全に封印して花桜梨さんと即座に握手すること。
 もう一つはすべてが崩れることを覚悟して花桜梨さんと拳を交えること。

 どちらがいいかは私はわからない。
 ただわかっていることは、どっちをとっても、茜ちゃんと花桜梨さんの両方とも傷つくこと。

 今晩じっくりと考えてみて?
 後悔のないようにね」

「………」

何も言えず、ただ舞佳を見つめている茜をそのままに舞佳が部屋の扉に向かう。

「舞佳さん……」

「茜ちゃん。最後に花桜梨さんと拳を交えたものとして一言だけ言っておくわ。

 茜ちゃんは絶対に花桜梨さんに勝てない。

 一発も花桜梨さんに当たらないかもしれない。

 たぶん花桜梨さんが本気をだせば、茜ちゃんなら20分ぐらいで殺せるわ」

「!!!」

「それじゃあ、おやすみ……」


バタン!


扉の閉まる音が寂しく部屋中に響いていた。



「………」

ようやく、一人っきりになった茜。

立ち上がり、部屋の明かりを消す。
そして制服姿のまま、ベッドに横になる。

「………」

真っ暗な部屋。
茜は天井を見つめたまま考え込む。

「………」



1時間ぐらいそのままだったろうか。

茜がぼそっとつぶやいた。

「ダメだ……ボクは昔のボクに嘘つけない……」
To be continued
後書き 兼 言い訳
茜が初めて昔の事実を知ることになりました。

悩みに悩んだ茜。
一つの結論にたどりついたようです。

さて、次回は花桜梨の話に戻ります。
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