「ねぇ、おかあさ〜ん、はやくぅ〜」
「はいはい、急ぐんならじっとしていなさい」
はばたき市の輝美の部屋では大騒ぎ。
全身大の鏡の前で、浴衣の着付けをしているところ。
自分だけではできないので、母に教えてもらいながら着ている。
白地に少し幾何学的な模様が入ったシンプルな浴衣は今日のために買ってきた新品。
今は最後の帯を身につけようとしているところ。
そんなところで廊下から弟の尽の声がする。
「姉ちゃん!姉ちゃん!」
「なんなの!今忙しいの!」
「葉月の兄ちゃんが玄関まで来てるぞ!」
「えええっ〜〜〜!」
太陽の恵み、光の恵
第31部 夏祭り編 その8
第210話〜屋台観覧〜
Written by B
「どうも初めまして、うちの娘が大変お世話になっていて……」
「いや、こちらこそ……」
「今度また機会があったら遊びに……」
「はぁ、機会があれば……」
「お母さん、挨拶はいいから!すぐに出かけるから!」
実は葉月が輝美の家に来るのは初めて。
しかも、今日迎えに来るなんて輝美は一言も聞いていない。
そもそも葉月が輝美を驚かそうと思って黙ってやるような男ではない。
だから、東雲一家は全員びっくり。
輝美の母は慌てて初対面の葉月にご丁寧に挨拶をする始末。
輝美が慌てて葉月を玄関の外に追い出してようやく家の中が落ち着いた。
雪駄を履こうとしている輝美の後ろで尽が両手を頭の後ろに組んで立っている。
「姉ちゃんが遅いからだぞ」
「うるさい」
「まったく、浴衣の着付けぐらい事前に習っとけよ」
「しょうがないでしょ。試験勉強で忙しかったんだから」
「そんなこといっても、いざって言うときに自分で着られなかったら恥ずかしいだろ?」
「いざってとき?」
「またまたぁ、葉月の兄ちゃんが着せてくれないだろ?」
「……!!!」
最初は意味不明だと思った輝美だが、ようやく尽の言いたいことがわかった。
浴衣が脱げた状態で、自分で着るか葉月が着せる以外ないシチュレーション……
「このマセガキ!」
「あはははは!姉ちゃん行ってらっしゃ〜い!」
輝美は怒るが尽はすでに自分の部屋に逃げ込んでしまっていた。
「お、おまたせ」
「いや、全然待ってないが……」
玄関で恥ずかしそうに輝美がでてきたところを葉月は待っていた。
葉月は淡いグレーと淡い緑の市松模様、シックな感じの浴衣だ。
いつものクールな表情の葉月に輝美は今現在で最大の疑問をぶつけてみる。
「ところでなんで家まで来たの?」
「……暇だったから」
「えっ?」
「昼寝してて……中途半端に起きたから……輝美の家に行ってみようかなと思って」
「それだけ?」
「……それだけだが、どうした?」
「いや、なんでもない……」
(珪くんの単なる思いつきだったんだ、はぁ……)
葉月の気まぐれに振り回されたことにため息をつく以外ない輝美だった。
二人は近くのバス停からバスで会場の臨海公園に向かうことにする。
バスの中には浴衣の人が多くいる。
「今日は浴衣の人が多いね」
「祭りだからな」
「珪くんは去年もこの祭りに行ったの?」
「いや、仕事でいなかった」
「そうなんだ……」
「………」
「………」
あまり会話が弾まない。
しかし、これが二人の普通の会話。
葉月がしゃべるのが得意ではないため、なかなか盛り上がるということがない。
それでも二人にとっては楽しい会話なのである。
「夕焼けの町って綺麗だよな……」
「そうだね……」
座席に座っている輝美の前でつり革に掴まって立っている葉月は窓からの景色をじっと見つめていた。
そんな二人に突然横から声がかかってきた。
「なんだ、東雲と葉月じゃないか」
「あっ、先生!」
「あっ……どうも」
葉月の隣のつり革に二人の担任でもある氷室零一がいた。
氷室先生は規律に厳しい数学教師として学校の名物先生の1人になっているほどの有名人。
白の半袖ワイシャツに黒のズボン。青のネクタイがびしっと決まっている。
「先生はどうしてここに?」
「いや、夏祭りの見回りだ」
「見回り?」
「ああ、夏祭りでは毎年はしゃぎすぎの生徒がいるからな。見つけたら厳しく指導をしないといけない」
「はぁ……」
(はぁ、夏祭りを楽しむ気なんてまったくないんだろうな……)
輝美が思っているとおり、氷室先生には生徒指導第一のようだ。
「お前達もテストが終わったからと言って羽目を外すことがないようにな」
「は、はい……」
「はい……」
二人は首を頷く以外なかった。
そして会場の臨海公園に到着した。
会場には大きく「サマーフェスティバル」の文字が書かれた大きな張りぼてのアーケードが建てられていた。
「う〜ん、やっぱり日本人は『夏祭り』のほうがあうんだけどな」
「俺もそう思う……」
少し西洋風なアーケードの下をくぐって会場に入る。
「やっぱり『夏祭り』のほうがやっぱりあうよね」
「ああ……」
会場内はまさに日本風の屋台が煉瓦道に沿ってたくさん並んでいる。
神社の境内ではなく臨海公園で行われていること以外、一般的な夏祭りと変わりない。
ただ、新興都市でもあるはばたき市には伝統的で大きな祭りがない。
そのため、市内の商店街が主催して行っているのがこのサマーフェスティバル。
伝統的なお祭りと違い、様々なイベントで祭りを盛り上げている。
「カラオケ大会、かき氷の大食い、ダンスコンテスト、ヒーローショー……」
「……節操ないな……」
「珪くん。それ言っちゃだめ」
二人は入り口でもらった商店街発行のパンフレットを見ながら話をしていた。
「でも、かえってこういうのが手作りのお祭りって感じがするのよね」
「……対象の年齢層がわからない……」
「珪くん。それも言っちゃだめ」
二人は屋台の通りを歩いている。
「やっぱり屋台って見ているだけでもいいよね」
「そうだな」
二人はどこに寄るわけでもなく、両隣にずらりと並ぶ屋台を眺めながら歩いている。
ある意味ウィンドウショッピングなのだろうか。
その屋台の中で輝美は見知った顔を見つけた。
「あっ!志穂さん!」
「あら、輝美さん。それに葉月君も」
「ああ……」
そこは朝顔の鉢がずらりと並んでいる珍しい屋台。
鉢の上の棒にくるくると朝顔が絡んでいる。それがずらりと並ぶとそれはなかなかの光景。
輝美と同学年でトップクラスの成績の有沢志穂がそこにいた。
紺色の浴衣に紫の帯という少し大人っぽい浴衣は、細めの志穂にとても似合っていた。
「あれ?朝顔売ってるの?」
「そうよ。バイトしてる花屋で今年初めての試みですって」
志穂は花屋で週2回ほどアルバイトをしている。
話によると中学の頃からしているらしい。
ある種のガリ勉タイプの志穂にしては珍しいと輝美は内心思っている。
「へぇ、ところで売れてるの?」
「珍しいみたいね。おじいさんとか、子供連れの家族とかが買っていくわ」
「よかったね」
「そうね。これ育てるの大変だったから。売れ残ったらどうしようと内心ヒヤヒヤよ」
志穂は胸をなで下ろす仕草をみせる。
そんな二人の横では葉月が朝顔をじっと見ていた。
「あれ?珪くん、どうしたの?」
「これ……食べられるのか?」
「「そんなわけないでしょ!!」」
輝美と志穂のツッコミは同時だった。
「もう、屋台は食べ物しか売ってないわけじゃないんだから」
「そうなんだ……」
「はぁ……」
朝顔の屋台を離れた二人は、再び屋台眺めを続けていた。
「ねぇ、屋台眺めててお腹が空かない?」
「結構減ってる。でも、仕事だから……」
「モデルも大変だね……」
実は二人とも屋台で何も食べていない。
葉月が最近少し太ったようで、やせるために食事制限をしているためだ。
「おまえこそ、俺に気を遣わなくて食べればいいのに……」
「いいよ。珪くんに悪いし、それに私も……」
「そんなに太ってるのか?」
「珪くん!ストレートに言わないでよ!」
「ごめん……」
そういうわけで、二人ともウィンドウショッピング?を決め込んでいたのだ。
「でも、屋台っていいにおいがするんだよね」
「ある意味拷問だな……」
「た、確かに……」
「でも、俺、これだけでお腹いっぱい」
「私も……」
お互い苦笑い。
そんなときに向かい側から見知った顔がやってきた。
「あっ、先生だ……」
間違いなく向かい側からやってきたのは氷室先生。
先生は隣の男の子と話をしながら歩いている。表情は相変わらずの硬い表情のまま。
それに対して隣の男の子は先生の話をうんうん頷きながら熱心に聞いている。
「あれ?本当だ……あれ?守村くんが一緒だ」
「えっ?……ああ、確かに……」
二人の姿を確認するうちに二人は輝美と葉月の目の前にいた。
「なんだ、おまえたちここにいたのか」
「あっ、東雲さんに葉月さん。こんばんは」
「守村くん。氷室先生と一緒だったんだ」
「ええ、たまたまあったので、祭りについての話を色々聞かせてもらいました」
丁寧な言葉遣いで話す眼鏡の男の子は守村桜弥。
学園でもトップクラスの成績を維持続ける秀才であるが、運動は苦手。
ただ成績を鼻に掛けるような人ではなく、真面目で優しい性格であるため、男女ともから慕われている。
さらにいうと、大部分から恐怖の対象として見られている氷室先生と気軽に話す人は彼ぐらいだ。
輝美も街で彼が氷室先生と話をしているのを何度も見たことがある。
誤解のないように言っておくと、桜弥にとって氷室先生は知的好奇心を満たす対象であって、同性愛でもなんでもないことだけは確かだ。
「いや、日本の夏祭りって奥深いものなんですね。初めて知りました」
満足そうに話す桜弥は本当に満足しているのだろう。
その桜弥は腕時計をちらりとみた。
「じゃあ、僕はそろそろ失礼します」
「そうなの。じゃあ、また来週」
「また……」
「じゃあ、また学校で」
桜弥は二人と先生に頭を下げると、1人ですたすたとアーケードのほうに向かって歩いていった。
取り残された3人。
「お前達なら大丈夫だと思うが……遅くならないうちに帰れよ」
「はい、わかってます」
「ならよろしい……それでは、私も失礼する」
「はい、お疲れ様でした」
「おつかれさま……」
先生も桜弥以上の早足でアーケードに向かって去っていった。
「先生も忙しい人だね……」
「そうだな……」
二人は先生の背中をじっと見送っていた。
二人はまた屋台を見て歩いていたが、屋台の列の端にたどり着いていた。
「もう、終わりなんだ。引き返そうか?」
「それしかないだろ?」
「確かに……」
そういうわけで、来た道を引き返しながら再び屋台を見て歩くことにした。
輝美の右でほんの少し前に歩いている珪。
ふと見ると左腕と胴の間が少しだけ空いている。
輝美は珪のすぐ左に寄り添い、そっと腕を絡ませる。
珪はすぐに気が付いて左を見る。
「輝美……」
「いいでしょ?」
「ああ……」
珪は左腕に少し力を入れる。
輝美はそれに引っ張られ、珪とぴったりとくっつく格好になる。
腕を組んでいて、さらに体を珪に少しだけ預けた格好で歩いている輝美。
(嬉しいけど恥ずかしい……)
輝美は顔が少し赤くなっていた。
そして気が付けば志穂が仕切っている朝顔の屋台に。
「……あれ?」
屋台の中がどうも変なことに輝美が気が付いた。
二人は屋台の中に入ってみることにする。
そこでは、輝美が男の人と口論していた。
「だから、これでいいのよ?」
「う〜ん、それはどうだろ?これではせっかくの朝顔が泣いているよ」
「どうして?」
「この鉢の置き方に芸術を感じないんだよ。それでは花が可哀想だ」
「配置に芸術はいらないわよ」
「美は共鳴するんだよ。配置に美があればそれで花も一層綺麗になるんだ」
「ちょ、ちょっと!勝手に動かさないでよ」
「ここはこう置いて、これは左からのアングルを大切にして……」
みると、志穂の制止を振り切って、勝手に朝顔との鉢の配置を変え始めた。
しかも、その配置は普通の人には理解できないほど意味がわからない配置。
志穂は慌てているが、その男はまったく耳を貸さない様子。
輝美も珪もその男を知っていた。
「三原くん!何やってるの?」
「おや、輝美ちゃんに葉月くんじゃないか。どうしたんだい?」
「いや、どうしたもこうしたも、何やってるの?」
「いやね。屋台の前を通ってたら、朝顔が泣いていたからね。助けてあげようと思って」
「なにが助けてよ!お客が見えやすいように並べた鉢をめちゃくちゃにするだけなのよ!」
志穂がカンカンに怒っている前で平然とした顔をしているのは、輝美と同学年の三原色。
両親が有名芸術家でもあり、さらに自分も幼少から天才芸術家として世間に知られている存在。
人気モデルの葉月と三原の二人のおかげではばたき学園の名前は全国に知られているぐらいだ。
そんな彼は今オレンジの浴衣を着ている。この色の浴衣を着こなせる男はなかなかいるものではない。
ところが、彼は芸術が思考の中心にあるため、時々こういう事を起こす。
三原と同じクラスの志穂はそのとばっちりを何回も受けている。
「知ってる?この人、美術館にある自分の絵を無断で直そうとしたのよ」
「ええっ!展示物だよ?」
「………」
「だって、あの絵は未完成だったからね」
「だからって勝手に直しちゃいけないの!……さすがの須藤さんも真っ青な顔して止めたらしいわよ」
「えっ?あの須藤さんが!それはすごい……」
「………」
三原は『どこが悪いの?』と言いたげな顔をしている。
事態がよくわかっていないらしい。
それを見て、周りはこれ以上言っても無駄だと悟る。
4人の集まりはこれで解散となる。
色々あったが、祭りを十分に楽しんだ輝美と珪。
すでにアーケードの真下に戻ってきていた。
珪が明日の早朝から仕事だということで、少し早いが解散となる。
「ごめん。俺、仕事だから……」
「ううん。しょうがないよ。明日からずっと仕事でしょ?」
「ああ、昼寝の時間があるか心配だ……」
「まあ、夜じっくりと寝ればいいじゃない」
「夜は夜の撮影がある。ああ昼寝が……」
「まあまあ……」
寝る暇がないと愚痴る珪を輝美は慰めている。
「ところで、夏休みはずっと仕事?」
「ああ、天気の事もあるから、いつ休みになるかもよくわからない」
「そっかぁ……じゃあ、夏休みは珪くんと遊びにいけないか……」
「………」
「あっ、ごめんごめん!なんでもない!」
輝美はすこし残念そうな顔を見せたが、すぐに表情を作り替えた。
それに気づいた珪がすこしだけ顔を赤くして輝美に話しかける。
「もし、俺に暇ができたら……呼んでいいか?」
「えっ?」
「俺も輝美と一緒にいたいから……いいだろ?」
「うん!うん!いつでも待ってるから!」
それまで少し暗かった輝美の顔がぱっと明るくなった。
「それじゃあ、マネージャーがここに来るみたいだから」
「じゃあ、また今度ね。お仕事がんばってね!」
「ああ……」
輝美は笑顔で家に帰るためのバス停へと歩き始めた。
その後ろを珪はずっと手を振って見送ってくれていた。
寂しくなると思っていた夏休みにもすこしだけ期待がもてそうな輝美だった。
To be continued
後書き 兼 言い訳
200話すぎてるのに葉月くんが正式登場となりました。
輝美ちゃんとのいきさつが今までなくて、いきなりこのらぶらぶ状態で登場しちゃってます。
なれそめも外伝あたりで書かないとまずいかなぁ?
他には守村、三原、有沢、氷室先生が初登場で、GSで残ったのはギャリソンさんだけですな。
いや、未登場の人をどうやって出そうか、と考えた結果がこういうお話になりました。
ようやく、次話で夏祭りは最終話。
残っているあのカップルに事件が……と、ここまで書けばわかるでしょ?