「さて、そろそろ見回りと自販業者との対応に行かなきゃかな」
「そうだね。私も清掃業者との対応があるから」
「恵はどうする?」
「まだおねんねの時間じゃないから、私が連れて行くよ」
午後の宿泊棟1階の管理人室。
新規のお客はなく、合宿の参加者はみんな宿泊棟の外で活動しているので、ここにいる人は誰もいない。そのため、心おきなく裏方の仕事に専念できる。
♪♪♯♭♭♪♯♪♪♪♯♭♪♭♪♪
そんなときに公二の携帯からメロディーが鳴る。
「誰?」
「誰だろう……ん?楓子ちゃんの後輩からだ……もしもし……えっ?……ええっ!」
公二が大声をあげるとともに顔が少しずつ青くなる。光もその様子に気づき、じっと公二の様子を見守る。
「……わかったけど、こっちも仕事があるから……とにかく早く終わらせてそっちに行くから!」
公二は急いで携帯を切った。
「あの馬鹿!」
太陽の恵み、光の恵
第33部 夏合宿ウィーク 後編 その4
第223話〜愛情千本〜
Written by B
「どうしたの?」
「純のやつ……一人で楓子ちゃんのノックを受け始めやがった」
「ええっ!」
「……はぁ」
公二は力が抜けたように畳に座り込む。光も一緒に座り込む。
「それって……まずいの?」
「まずいどころか、やばすぎる!」
「どうして?」
「普通、ノックってノッカー一人に対して受ける人がたくさんだ。順番に受けているから、楓子ちゃんの極悪なノックでも休めるからそれなりに体が持つ……それを一人でやってみろ?」
「一人だと……休めないね……うわぁ……」
「それに昨日の楓子ちゃんの話を思い出せ。取り憑いた霊が死ぬ原因となった状況を」
「たしか、夏の暑い日に1対1のノック……危ないよ!」
「今日は快晴、しかも真夏日だ。しかも真っ昼間にノックなんて異常だよ!」
公二の話で光の顔もみるみる青くなる。2人とも事態の重さに気持ちが重くなっていくようだ。
「止められないの?」
「止められてないから俺のところに電話がきたんだろ?」
「あっ、そうか」
「しかし、弱ったなぁ……俺も光もこれから仕事があるのに……」
「そうだよね。行きたいけど仕事優先だから……誰か頼めない?」
「無理。楓子ちゃんの本当の事はだれも知らない。確か八重さんにも言ってないみたいだから。頼むとなると事情を説明することになるけど、そんな時間もうないよ」
公二が壁の時計を指さす。2人の仕事の時間がもうすぐだ、確かに事情を説明するどころか連絡する時間もない。
「うわぁ!じゃあ仕事が終わったらそれぞれでグラウンドに行くようにしよ?」
「そうだな。俺も暇があったら誰かに対応を頼んでみるよ」
公二と光は外に飛び出した。事情を何も知らずきょとんとしたままの恵を連れて。
カキーン!カキーン!
野球部専用になっているグラウンド。
そのグラウンドの中央には純一郎と楓子の2人きり。楓子がノックを打ち、純一郎が取ろうとして取れない、という状況がかれこれ20分程続いている。
他の野球部員達はマネージャーの友梨子も含めて、グラウンドの外でただ見守っている。介入しないのではない。介入できないのだ。グラウンドの楓子から「入ったらコロス」という殺気が漂っているのだ。
最初、部員の一人が入ろうとしたら、彼の頭部近くめがけてボールが飛んできている。普通は腹部か急所なのに頭に行くというのは、本気で脅している証拠である。そのため、行きたくても行けないのだ。
仕方ないので、話しながら見守っているしかない、当然練習どころではない。
「なぁ、あいつおまえと同じクラスだったよな?守備できるのか?」
「まったくできない……はず」
「えっ?」
「体育祭でソフトの練習につきあったんだけど、あいつ横への動きが遅くてぎこちなかったんだよ。ボールのキャッチ自体は問題ないんだけど。あまりに守備範囲狭いから、大会ではキャッチャーにしたぐらいだ」
「……大丈夫か?」
「う〜ん、一つだけ言えることがある」
「なんだ?」
「ノック受けてるうちにうまくなってる」
「えっ?」
「やってくうちに体の動かし方を覚えているように見える。さっきから佐倉さんの打つボールのコースは同じなんだけど、少しずつ近づいてるだろ?横への動きが相当スムーズになってる」
「確かにそれは俺も気づいてる。でも肝心のボールは取れるのか?」
「………」
「………」
2人とも黙ってしまう。自分たちが1回も取ったことがないのだから黙ってしまうのも当然だろう。2人はまた黙ってグラウンドを見つめるだけになる。
「いくよ〜♪」
楓子の表向き明るい声を出すと、背後に置いてある、ボールが山ほど入っているかごの中からボールを一つ取り出す。
「さぁこい!」
純一郎は2塁ベースの1メートル手前のところで構えている。学校のジャージはグラウンドの土で染まってしまっている。持っているグラブは用具倉庫に入っていたのを適当に持ってきたものだ。
それを見た楓子はバッターボックスの位置でボールをあげて、バットで打つ。
カキーン!
ダダダダダ……
その音と同時に純一郎が走り出す。ボールは1塁方向に転がっていく。懸命に走っているつもりだが、ボールまでまったく近づかない。
ズサァッ!
それでも何とか取ろうと横っ飛びするが、ボールはグラブから1メートルも遠くを横切っていく。
「ボール取ってぇ」
楓子の明るいようで冷たい声を聞いた純一郎はすぐに起きあがり、後ろに転がるボールを追いかける。すぐに追いかけないと次のボールが飛んでくるからだ。
ボールを拾った純一郎は素早くホームベースの楓子に向かって投げると、すぐに戻って構える。そのタイミングですぐに次のボールが打たれる。
ノックが始まってからずっとこの調子。変わったことといえば、純一郎とボールの距離が少しずつ短くなっていることだけだ。
ノック開始から1時間経過した。
いぜん状況は変わってない。ここでようやく公二と光がグラウンドに駆けつけた。
「えっ?あなたも今来たの?」
「ああ、今日は暑いから売り切れの自販機がたくさんあったんだよ。だから業者の人も手間取ったみたいで……光は?」
「こっちも、アイスとかのゴミがたくさんで時間が掛かっちゃったの」
「あれ、恵は?」
「私たちの部屋でおひるね」
「誰が付き添ってるの?」
「ほむら。生徒会のところまで行って頼んだらOKしてくれた」
「いいのか?」
「いいみたい。橘さんも『どうせ仕事しないからいいわよ』って言ってたから」
そんな会話をしていたら、後ろから大声が聞こえてきた。見ると後輩マネージャーの子だった。彼女はバレー部の部活着を着た花桜梨を連れてきた。
「私、本当にわかってないんだけど……」
「いいんです!いざとなったときに止められるのは先輩しかいません!」
花桜梨は事情もよくわからずに連れてこさせられたらしく、表情に戸惑いが見える。
「ほら、あそこにふたりっきりでしょ!」
一方、マネージャーの友梨子はそんなことはお構いなしにグラウンドを指さし、花桜梨の視線を向けさせる。
しかし、花桜梨の反応は予想外だった。
「2人?……4人いるけど」
「「「えっ?」」」
「ほら、バッターボックスの楓子ちゃん。その後ろに背が高くてポニーテイルの赤いジャージの女性。2塁の穂刈くんに、その横で声を掛けてる坊主頭でがっちりした体型の青のジャージの男性。合計4人」
「「「………」」」
「あれ?どうしたの?」
花桜梨の冷静な一言で彼女の周りが一斉に凍り付く。中にはぶるぶる震えている部員も何人か見える。その一変ぶりに逆に花桜梨が少しとまどっている。
公二と光が震えながらも花桜梨に近づいていく。
「あのぉ……花桜梨さん?」
「あれ?主人君に光さん……どうしたの?」
「どうしたじゃなくて、4人って言ってたけど……2人は幽霊なんだけど……」
「えっ?そうなんだ……かなりはっきり見えてるから、かなり強い霊力を持っているのよね」
「……見えるの?」
「うん、最近ちょっとあって、霊とか見えるようになっちゃったの」
「………」
「もしかして頼み事って、あの霊の除霊?それはいくら私でも無理。ダメージぐらいは与えられるけど、とどめはちょっと……」
「「………」」
花桜梨のさらに冷静な返事に公二、光、友梨子を含めた全員が固まってしまっている。
ノックが始まってから1時間半。
グラウンドからは湿気を大量に含んだ熱気がむんむんと立ち上がっていく。上からは太陽光線がグラウンドに容赦なく照りつける。
2人の状況だが、純一郎はボールまであと少しという距離までたどり着いた。普通の野球部員と同じぐらい、むしろそれ以上に近づいてきているかもしれない。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
「はぁ、はぁ、はぁ……」
楓子も純一郎もさすがに動きが鈍くなっている。顔は汗びっしょり、肩で息をしている状態、体も時々ふらふらとしている。
それでも2人はやめようとしない。
「やめないぞ……ボール取るまでやめないぞ……」
「もう、やめないから……絶対にやめない……」
2人は念仏のようにつぶやきながらもノックを続けている。
「どうしよう……このままだと絶対にやばいよ……」
後輩マネージャーの友梨子がおろおろし始めた。顔もかなり青くなっている。それに気づいた光が聞いてみる。
「ねぇ、どうしたの?顔色悪いけど?」
「私、そうですか?いや、先輩おかしいです……普通この時間なら、もう先輩は飽きてバットを放りだすんですけど今日はその気配すらない……やめる気配が全然ない……もう危ないです……」
「やっぱり……あなた、どうするの?」
「見守るしかないだろ」
「それ、私も同じ」
「えっ?」
公二と花桜梨が首を横に振るばかり。
「純はどう考えてるかわからないが。間違いなく楓子ちゃんは命掛けてる……遠くからだから、断定できないけど、あれはいつものノックする楓子ちゃんの顔じゃない」
「なんか2人の幽霊が2人に何か掛けてるみたい。でも2人は首を横に振ってる……たぶんやめるよう説得してるけど、2人は聞くつもりないみたい……」
「………」
「光、電脳部にいるはずの三原さんに伊集院病院の救急車の手配をお願いしてくれ」
「えっ?なんでわざわざ伊集院病院に?」
「これがどうなるかわからないが、救急車は絶対に必要だ。そうなると、普通の病院だとあのサイレンの音から大事だと外部にわかってしまう。ここは内密にすませたい。そうでないと学校に迷惑が掛かる。それにこうなった理由を説明できん」
「……わかった。急いで行ってくる!」
「私もお願いしてきます!」
光はすぐに全速力でグラウンドから走り去っていった。友梨子も後を追いかけていった。
そして2時間が経過した。
「………」
「………」
純一郎も楓子も限界が近づいている、いや、限界を超えているのが明らかに見えてきている。声はもうでていない。肩どころではなく全身で息をしてきている状態。さらにたらす汗もなくなってきたのか、逆に汗が引いてきている。しかも2人とももう5分以上も動いていない。
グラウンドの周りも、かなり危ないのに気づいている。そろそろ介入しなくてはいけないと思うのだが、誰も足が動かない。
それでも楓子がゆっくりと動き出す。そしてボールを握りしめる。そして、今までになかった声を張り上げる。
「これが最後よ!」
「さぁこい!」
「「「!!!」」」
カキーン!
グラウンドの周りが一斉に青ざめたと同時に楓子のバットから快音が響いた。
「うぉぉぉぉぉぉ!」
純一郎が雄叫びをあげながら、右横へ猛ダッシュする。ボールに段々と近づく。もう体力の限界は超えているはずなのに今までで一番早く足が動く。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
そして今にもボールが横切りそうというところで、右手のグラブを思い切り前につきだし、横っ飛びをする。
パシッ
「「「あっ……」」」
ボールは純一郎のグラブの中に入っていた。
「と、とれた……」
「はいってる……」
純一郎と楓子はそうつぶやくとお互いに見つめ合う。そしてすこしだけほほえむ。
バタッ!
そしてそのまま2人ともそのまま倒れこんでしまう。
グラウンドの周りは、凍り付いていたのが徐々に溶け出す。そして、グラウンドの状況をようやく把握し出す。
「急げ!救急車だ!」
公二の一言で部員達が一斉に動き出す。水を運ぶ人、シーツを運ぶ人、救急車を呼ぶ人。グラウンドの周りは一瞬にしてパニックが発生した。
「あの2人、いい顔で成仏していった……よかった」
花桜梨のこのつぶやきを誰も聞く余裕はなかった。
To be continued
後書き 兼 言い訳
何を書けと言われても、今回は見ての通りですね。
文中のとおり、花桜梨さんは楓子の過去を知りません。いくら2人の仲とはいえ、言えない事はあるでしょう。ただ、花桜梨さんには見える物はみえたようで(汗
次は、今回の後始末ってところかな。